2017年10月08日

目指せ世界遺産登録!「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を巡る旅
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に関わる推薦書が、2017年2月にユネスコ世界遺産センターへ提出されました。12ある潜伏キリシタン関連の遺産は、2018年夏の審議に向けて新たな世界遺産登録を目指しています。今回は一足お先に、天草・島原の遺産を巡る旅について紹介していきます。
キリスト教の信仰を禁止するなど、禁教があった江戸時代ですが、天草・島原には隠れキリシタンが多くいました。キリスト教を信仰することをやめなかった人たちが迫害を受け、さらに大災害などにより作物が育たないにも関わらず納税も厳しく行われたため、天草、島原の農民を主とし一揆することとなりました。これが「島原・天草一揆(島原の乱)」で、このときの大将が有名な「天草四郎」です。
※歴史の教科書などで名称が変更されたことに習い、ここからは「島原・天草一揆」表記に統一します。
島原・天草一揆の舞台で迫害も多かった中、潜伏キリシタンはどのように生活をし信仰を深めていたのか。そんな思いをはせながら、日帰りで行ける「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のスポット巡りをご紹介します。
構成資産の紹介|長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
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【熊本】天草の崎津集落(さきつしゅうらく)
崎津集落は、熊本県天草市河浦町﨑津一帯の総称で、江戸時代にはキリスト教が布教していました。のちに禁教期に入り、仏教や神道へ改宗するものと、潜伏キリシタンになるものとに別れました。崎津集落は漁業が盛んな地域だったこともあり、貝殻などを用いてキリシタンの信心具を作るなど、自らの信仰を密かに継続しようとしました。日本でも有数の潜伏キリシタンの集落として有名です。
この地方の人たちは昔から漁業で生活していたため、アワビやタイラギ貝などの海からの幸をメダイにしたりして信仰の対象としてきました。仏教や神道、キリスト教が共存する集落として重要な資産価値を有しているため、世界遺産候補となったんだそうですよ。
信仰復活のシンボル「崎津教会」
崎津教会は、1566年頃建てられたゴシック様式の教会です。1934年頃、フランス人宣教師「ハルブ神父」の時代に「鉄川与助」によって設計再建されました。弾圧の象徴である踏み絵が行われた「吉田庄屋役宅跡」が選ばれ、正面祭壇は踏み絵が行われた場所に配置されたといわれています。崎津集落の方にとっては、信仰復活のシンボルとなっています。
天草の﨑津集落
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【長崎】島鉄フェリーで島原へ
天草の潜伏キリシタンについて学んだら、早速島原へ向かいましょう。崎津集落からは1時間30分ほどで島原へ行くことができます。天草にある「鬼池港(おにいけこう)」からフェリーに乗り、島原半島南端の「口之津港(くちのつこう)」まで30分ほどで到着します。
島原鉄道株式会社
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島原・天草一揆の舞台となった「原城跡」
口之津港からは、国道251号線(島原街道)をほとんど一本。車やタクシーで15分ほどで行くことができます。1616年には廃城となっていましたが、1637年に「島原・天草一揆」で戦った天草四郎を始めとした人たちが籠城します。約4ヶ月もの長い間に渡り戦いましたが、1638年に幕府軍による一斉攻撃でとうとう全滅にいたります。
悲惨な歴史がありましたが、1938年には「国の史跡文化財」に指定されたほど、大切な文化財です。敷地内には十字架の慰霊碑もあります。小高い海の上にあるので、ここからの眺めは気持ちがいいですよ!
総大将であった天草四郎の墓石は、島原半島に当時あった西有家町の民家の石垣の中に埋もれていたそうです。発見された後に、ゆかりの深い原城に移し供養したと言われています。景色がきれいな場所を巡っていくのも素敵ですが、昔の歴史を感じ思いを馳せながら歴史ロマンを感じるのもおすすめです!
歴史を学んだら美味しいグルメも忘れずに!
島原へ向かう前に寄りたい「天草 海鮮蔵」
天草 海鮮蔵の詳細情報
原城跡も徒歩圏内「レストラン はる乃」
温泉|原城温泉 真砂
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レストラン はる乃の詳細情報
天草・島原の隠れキリシタンを巡る旅
天草・島原では多くのキリシタンの方が迫害を受け犠牲となった場所でもあります。それでも信仰を続けていた方たちの想いを考えると胸にこみあげてくるものがありますよね。隠れキリシタンの方々の想いを感じながら巡ってみてはいかがでしょうか?