2018年07月20日

【広島】世界平和へ祈りを捧げる女子ひとり旅。見ておくべきスポット14選+番外編
世界で初めて原爆が投下された広島。市街地には、二度と悲惨な歴史を繰り返さないよう、平和について深く考えることができる原爆遺構や慰霊碑などが多く残されています。そのさまざまなスポットを巡ると、原爆の悲惨さだけでなく、復興のために立ち上がったり、支援したりした方たちの平和への願いに触れることができます。そんな思いに寄り添い、自分自身の心に平和への願いを刻み込むためには、ひとり旅がおすすめです。今年の夏は広島で、真の平和について考える女子ひとり旅へ出かけませんか?今回はそんなスポットをご紹介します。
広く知られていない遺構も。「ピースツーリズム」で巡ろう
世界で初めて原爆による被害を受けた広島
広島の復興には、日本人だけでなく海外の人々からの支援も大きく関わっています。日本の惨状を知って、医薬品を大量に手配した医師や被爆で親を亡くした子供たちを支援した方たちなど、さまざまな支援により励まされた被爆者が多かったといわれています。今回は、そんな広島の原爆遺構と平和への願いが込められたスポットをご紹介します。
静かに、そして強く平和を望む施設が集まる「平和記念公園」
広島での平和を祈る旅の始まりは、「広島平和記念資料館」や「原爆ドーム」など、悲しい歴史を物語る施設や真の平和を願うための施設が集う「平和記念公園」から。広島駅から路面電車で15分ほどの「原爆ドーム前」電停で下車後、徒歩5分ほどの場所にある広大な公園です。
1.広島平和記念資料館
2.原爆ドーム
ピースメッセージとうろう流し

「原爆ドーム」の前を流れる元安川では、毎年8月6日の夜、「ピースメッセージとうろう流し」という、8,000個ほどのとうろうを流すイベントが行われます。そもそも「とうろう流し」とは、お盆に自宅に迎えた先祖の魂をあの世へ送り出す、送り火のようなものでした。しかし、原爆で家族を亡くした遺族が供養のために「とうろう」を流したことから、しだいに国内外からの参加者が増え、慰霊と平和を発信するものになっていきました。それに伴い、とうろうに書かれる文字も平和への思いを込めたものが目立つように。この歴史は、悲しみを憎しみの連鎖にせず、平和への願いにつなげていった広島の人々の寛容さも表しているようです。
ピースメッセージとうろう流しの詳細情報
3.原爆死没者慰霊碑
広島平和記念式典
「広島平和記念式典」とは、「原爆死没者慰霊碑」の前で、毎年8月6日の原爆忌に行われる原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための広島市主催の式典です。原爆死没者の遺族や多くの市民が参加し、献花や黙とう、平和の鐘を鳴らした後、広島市長の平和宣言や子供たちによる平和への誓いが行われます。例年7時頃には満席になりますが、誰でも参加可能なため、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
原爆死没者慰霊碑 (広島平和都市記念碑)の詳細情報
4.レストハウス

「レストハウス」は、大阪に本店があった大正屋呉服店の店舗として建てられた、鉄筋コンクリート造のモダンな建物でした。1943年、大正屋呉服店が繊維統制令により閉店した後、広島県燃料配給統制組合が買い取り、使用していました。被爆した際、爆心地からは170mほどしか離れていなかったため、屋根が押しつぶされ、地下室を除いて内部は全焼しました。しかし、爆心地側にほとんど開口部がなかったことと頑丈な建物だったため、建物そのものは基本的な形態をとどめた状態で残ったのです。補修後は燃料会館として使用された後、広島市が買収し「レストハウス」として使用されるようになりました。ちなみに、2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」には、呉服店当時の姿で登場していたんですよ。
※2018年7月現在、改修工事のため休館中。再オープンは2020年7月予定。
平和記念公園レストハウスの詳細情報
5.平和の時計塔
平和の時計塔の詳細情報
6.原爆の子の像

「原爆の子の像」は、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」という呼びかけにより作られたブロンズ像です。その呼びかけのきっかけになったのが、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死でした。「鶴を千羽折ると病気が治る」を信じた禎子さんは、最後まで生きることを諦めず、1,300以上の鶴を折り続けたことでも知られています。彼女の死に衝撃を受けた同級生たちの呼びかけは日本全国に広がり、全国3,100校余りの学校や海外からの支援が寄せられました。像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が。一人の少女の生きることへの祈りが、多くの少年少女の心に平和の種を撒いたことが窺える像です。
原爆の子の像の詳細情報
7.平和の鐘
平和の鐘の詳細情報
8.国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
豊かな広島に感動!復興した爆心地付近を一望できるタワー
「原爆ドーム」の隣にある「おりづるタワー」。「原爆ドーム」をはじめ、「平和記念公園」や再び豊かな街に復活を遂げた広島の街が望める施設です。
9.おりづるタワー

1,000点もの広島の名産品が揃う物産館や、広島の食材にこだわったオリジナルメニューが提供されるカフェなどが併設された「おりづるタワー」。このタワーのウッドデッキの展望台「ひろしまの丘」からは、「原爆ドーム」をはじめとする「平和記念公園」や広島の街並みを眺めることができます。また12階の「おりづる広場」では、平和を祈って折った折り鶴を透明な「おりづるの壁」に投入することができます。投入した折り鶴は12階からくるくると舞うように降りていき、さまざまな方たちの平和への願いといっしょになって重なっていきます。「おりづるタワー」は、そんな素晴らしい体験ができる施設なんです。
おりづるタワーの詳細情報
漫画「はだしのゲン」の舞台になった作者の母校で惨状を知る
「本川小学校 平和資料館」は、路面電車の「本川町」電停から徒歩2~3分ほどの場所にあります。建設当時、広島市内の公立小学校では、初めての鉄筋コンクリート造の校舎でした。3階建ての1階には、アーチ状の開口部や正面玄関が取り入れられるなど、モダンなデザインが施され、2階と3階にはダストシュートも設けられていました。
10.本川小学校 平和資料館
本川小学校平和資料館の詳細情報
消息を知らせる被爆伝言から思いを知る
「袋町小学校 平和資料館」は、路面電車の「紙屋町東」または「本通」電停下車後、徒歩5分ほどの場所にあります。被爆当時は、1937年に完成した鉄筋コンクリート造の地上3階地下1階の西校舎と木造の校舎の両方が使用されていました。西校舎は、水洗トイレやダストシュートが完備された当時最新の建物でした。
11.袋町小学校 平和資料館
袋町小学校平和資料館の詳細情報
平和を願って建てられた復活と平和の象徴
路面電車の「銀山町」電停から徒歩8分ほどのところにある「世界平和記念聖堂」。明治時代に建てられた和風建築の教会堂は、1945年8月6日の原爆投下により焼失しました。現在の建物は、その後再建されたものです。
12.世界平和記念聖堂
世界平和記念聖堂の詳細情報
海外からの支援を知って感謝する
路面電車の「江波」電停から徒歩10分ほどの場所にある「シュモーハウス」。被爆後、アメリカ人のフロイド・シュモー氏が、原爆により住む家をなくした人々のために建設した建物のひとつです。当時は、「シュモー会館」と呼ばれていましたが、2012年11月に現在の場所に移転させ、被爆後の広島に寄せられた海外からの支援を紹介する施設として開館しました。
13.シュモーハウス
館内では、被爆直後に大量の薬を届け、医療活動をしたスイス人医師のマルセル・ジュノー博士、戦災孤児となった子供たちへの支援活動を続けたノーマン・カズンズ氏などをはじめ、多くの支援が紹介されています。このような温かい支援も、原爆の悲しみや憎しみを乗り越えられるきっかけとなったことが窺えます。
シュモーハウス
住所 :〒730-0834 広島市中区江波二本松一丁目2番43号
アクセス:広島駅から広島電鉄電車「江波」電停下車後徒歩約10分/広島電鉄バス「中電前」停留所から江波営業所行で「皿山公園下(シュモーハウス前)」停留所すぐ
原爆にも耐えた堅牢な被爆建物
路面電車の「袋町」電停から徒歩2~3分ほどの場所にある「旧日本銀行広島支店」。1936年に建てられた、地上3階地下1階建ての古典様式のモダンなデザインの建物です。地震に耐えられる設計で建てられたため、原爆にも耐えて現在も当時の姿を残しています。
14.旧日本銀行広島支店
旧日本銀行広島支店の詳細情報
番外編 平清盛に崇敬された「嚴島神社」
被爆遺構ではありませんが、広島に行ったら足を運んでほしいスポットのひとつが「嚴島神社」です。広島に2つある世界遺産のひとつが「原爆ドーム」、そしてもうひとつが「嚴島神社」です。この2つは「ひろしま世界遺産航路」を利用すると片道45分で行き来することができます。また、船そのものは高速艇ですが、川を運航する際は低速での運航になるため、広島の街並みを川から眺めることができるんです。ピースツーリズムの途中で、立ち寄ってみてはいかがでしょう。