2016年10月10日

【新撰組】東京都内と千葉県流山市にある“新撰組ゆかりの地”スポット11選

【新撰組】東京都内と千葉県流山市にある“新撰組ゆかりの地”スポット11選

約150年前、江戸時代末期に京都で活躍をしていた新撰組。新撰組ゆかりの地と言えば、京都市にある壬生の屯所跡、池田屋事件跡、西本願寺など京都の史跡を思い描く方も多いことでしょう。しかし、新撰組局長の近藤勇、副長の土方歳三をはじめ、新撰組幹部のほとんどは関東出身者で、東京近郊には多くの新撰組ゆかりの史跡が残されています。近藤勇、土方歳三の生家跡が残る東京都とその近郊にある新撰組ゆかりの地をめぐってみませんか。

新撰組とは?

新撰組とは、江戸時代末期に、会津藩主、松平容保に雇われて京都市内の治安維持活動をしていた団体です。新撰組の局長、近藤勇と副長の土方歳三らが生誕した江戸時代は、厳しい身分制度で統治されており、農民から武士になることなど不可能でした。

しかし、武士になることを夢見続けた近藤勇は、自信の剣術の腕前を武器に数々の功績を残し、遂に幕臣となります。時を同じくして徳川幕府の独裁政権に終止符を打つべく、長州藩(現在の山口県)と薩摩藩(現在の鹿児島県)を中心とした尊王攘夷派の維新志士たちが日本を変えるべく奔走していました。

そして15代徳川幕府将軍、徳川慶喜が大政奉還をして政権を帝に返上します。尊王攘夷派の勢いは留まることを知らず、遂に1868年1月3日、旧徳川幕府軍と、長州・薩摩を中心とした新政府軍が全面対決する戊辰戦争が勃発します。

新撰組の隊士達は、最後まで旧幕府軍として戦い、激戦の中で散ってゆきました。波乱万丈の運命と悲劇的なドラマ性から新撰組を題材とした文学作品が絶えることなく綴られ、新撰組ファンが途絶えることはありません。

新撰組が幕を閉じた1869年から約140年が過ぎた現在、近藤勇や土方歳三の生誕の地でもある東京都近郊で新撰組ゆかりの地をめぐってみませんか。

近藤勇生家跡(東京都調布市)

近藤勇生家跡(東京都調布市)79496

出典:JUNKERSさんの投稿

後に新撰組の局長となる近藤勇は、1834年11月9日に多摩郡上石原村(現在の東京都調布市野水)に豪農(ごうのう)、宮川久次郎の三男として生を受けました。後の近藤勇は、幼名を宮川勝五郎といい、武士になることを夢見ながら幼少期を過ごしていました。

近藤勇生家跡の詳細情報

近藤勇生家跡

住所
東京都調布市野水1-6-8
アクセス
JR三鷹駅 バス 10分 野川公園入り口下車 徒歩 1分
料金
【料金】 料金なし

西武多摩川線「多磨駅」下車後、徒歩約15分。

土方歳三資料館[土方歳三生家跡](東京都日野市)

土方歳三資料館[土方歳三生家跡](東京都日野市)79502

出典:

後に、新撰組副長となる土方歳三は、1835年5月5日、多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)に、豪農、土方家の四男、十人兄弟の末っ子として生を受けます。土方歳三の生家跡は、現在、土方歳三資料館として一般公開されています。

土方歳三資料館の詳細情報

土方歳三資料館

住所
東京都日野市石田2-1-3
アクセス
多摩モノレール 万願寺駅 徒歩 5分 0.3km
料金
【料金】 大人: 500円 中学生: 300円 小学生: 300円

多摩都市モノレール「万願寺駅」下車後、徒歩約2分。

激動の幕末に生を受けた近藤勇と土方歳三。後の新撰組幹部となる二人は、天然理心流の道場、試衛館で出会い、生涯の盟友となります。

天然理心流試衛館跡(東京都新宿区)

天然理心流試衛館跡(東京都新宿区)79510

出典:

宮川勝五郎(後の近藤勇)は、天然理心流の道場、試衛館に入門しました。その剣術の才能を道場主の近藤周斎に見込まれた宮川勝五郎は、1849年、近藤周斎と養子縁組をします。その後、宮川勝五郎は近藤勇と名乗るようになります。

ほぼ時を同じくして、試衛館には後の新撰組の幹部となるメンバーが集まっています。新撰組副長を務めた土方歳三をはじめ、新撰組幹部の沖田総司、井上源三郎、山南敬助が天然理心流に門弟として入門していました。また、後の新撰組幹部となる永倉新八、原田左之助、藤堂平助も食客として試衛館に居たと伝えられています。

試衛館跡の詳細情報

試衛館跡

住所
東京都新宿区市谷柳町

東京都営地下鉄大江戸線「牛込柳町駅」下車後、徒歩約3分。

試衛館で、後の新撰組の幹部となるメンバーが集まった頃、近藤勇達は、新撰組の前身となる浪士組を結成します。

傳通院(東京都文京区)

傳通院(東京都文京区)79517

出典:

傳通院(でんづういん)には、新撰組の前身となる浪士組が結成した清河八郎が眠っています。尊王攘夷派であった清河八郎は、やがて近藤、土方達とは袂を分かちますが、清河八郎は新撰組の結成にあたり、大きな功績を残した人物です。

傳通院(東京都文京区)79518

出典:蒼弾丸さんの投稿

強烈な尊王攘夷思想であった清河八郎は、1863年に幕府の刺客によって34歳という若さでこの世を去りました。最終的に新撰組と決別しましたが、清河八郎の存在は新撰組結成に大きな影響を与えました。

伝通院の詳細情報

伝通院

住所
東京都文京区小石川3-14-6
アクセス
都営地下鉄春日駅 徒歩 10分 東京メトロ後楽園駅 徒歩 10分

東京メトロ「後楽園駅」下車後、徒歩約10分。

浪士組結成の処静院跡(東京都文京区)

浪士組結成の処静院跡(東京都文京区)79524

出典:

傳通院のすぐ近くには、新撰組の前身となる浪士組が結成された処静院(しょじょういん)跡の石柱があります。農民として生を受けながら、武士になることを夢に見続けた近藤、土方らは、1863年2月4日にこの処静院跡で浪士組を結成し、京の都へ上洛します。

1863年に江戸を出発し、上洛した浪士組は、壬生浪士組を経て新撰組となります。尊王攘夷派による京都御所焼き打ち計画を未然に防いだ池田屋事件をはじめ、数々の手柄を立てた新撰組は遂に幕臣取り立てとなります。

時代の波は大きく揺れ動き、1868年1月3日、遂に戊辰戦争が勃発します。新撰組は現在のJR京都駅近くの不動尊村屯所から伏見奉行所へ出陣しますが、薩摩・長州率いる新政府軍に敗れ、幕府の軍艦で江戸へ撤退します。

西光寺の近藤勇像(東京都調布市)

西光寺の近藤勇像(東京都調布市)79532

出典:蒼弾丸さんの投稿

鳥羽・伏見の戦いで敗戦した旧幕府軍は、江戸へ撤退した後、甲府城を次なる防衛拠点にしようと甲府へ進軍しました。1868年3月1日、甲陽鎮撫隊と名を改めた新撰組は甲府城を籠城すべく、江戸を出発し、甲府街道へ向かいました。その道中、甲陽鎮撫隊は、近藤の故郷・上石原村(現在の東京都調布市野水)にある西光寺で休息を取りました。上石原村の西光寺には、近藤勇の像があります。

甲州勝沼の戦いで、新政府軍に敗れた甲陽鎮撫隊は、敗走し江戸への引き上げを宣言します。ほぼ時を同じくして、新撰組組長を務め近藤・土方の側近であった永倉新八、原田佐之助が隊を離脱します。

近藤勇陣屋跡(千葉県流山市)

近藤勇陣屋跡(千葉県流山市)79539

出典:

甲州勝沼の戦いに敗れた甲陽鎮撫隊は、1868年4月2日に下総国流山(現在の千葉県流山市)に陣を置きます。しかし、同年4月3日に、近藤勇が新政府軍に捕らえられ、4月25日、板橋刑場で処刑されます。下総国流山に置かれた近藤勇陣屋は、近藤勇と土方歳三の今生の別れの場となったのでした。

近藤勇陣屋跡の詳細情報

近藤勇陣屋跡

住所
千葉県流山市流山2-109
アクセス
流山線流山駅 徒歩 3分 東武野田線江戸川台駅西口 京成バス 15分 流山駅 徒歩 3分 JR南流山駅北口 江戸川台駅行き京成バス 15分 流山駅 徒歩 3分
料金
【料金】 無料

流山線「流山駅」下車後、徒歩約3分。

新政府軍に捕えられ、処刑された近藤勇は、龍源寺で今も静かに眠っています。

龍源寺(東京都三鷹市)

龍源寺(東京都三鷹市)79546

出典:蒼弾丸さんの投稿

1868年4月25日、近藤勇は、板橋刑場で斬首刑となり、激動の人生に終止符を打ちます。享年35歳という若さでこの世を去った近藤勇は、龍源寺に埋葬されています。

龍源寺の詳細情報

龍源寺

住所
東京都三鷹市大沢6-3-11

西武多摩川線「多磨駅」下車後、徒歩約10分。

専称寺の沖田総司の墓(東京都港区)

専称寺の沖田総司の墓(東京都港区)79553

出典:

9歳で天然理心流の道場、試衛館に入門し、塾頭を務めた沖田総司の剣術の腕前は天才的なものでした。本気で立ち合うと師匠である近藤勇でさえも倒されるほどの腕前であったと伝えられています。沖田総司は、近藤勇、土方歳三の側近として新撰組一番隊組長を務め、新撰組の功績に多大な影響を与えたものの、肺結核を患い、享年25歳という若さでこの世を去りました。

専称寺の沖田総司の墓(東京都港区)835991

出典:蒼弾丸さんの投稿

専称寺には、天才剣士、沖田総司が静かに眠っています。尚、沖田総司の墓は一般公開されておらず、年に一度の総司忌の際のみ参拝することが可能です。

専称寺の詳細情報

専称寺

住所
東京都港区元麻布3-1-37

東京メトロ日比谷線「広尾」駅下車後、徒歩約15分。

天然理心流の四代目宗家、近藤勇が亡くなった後、天然理心流はどうなったのか気になりませんか。

撥雲館(東京都調布市)

撥雲館(東京都調布市)79562

出典:蒼弾丸さんの投稿

近藤勇の養子、近藤勇五郎は、天然理心流の五代目宗家として1876年に剣術道場・撥雲館を開いています。撥雲館は、近藤勇の生家の向かいに建てられています。撥雲館は主に多摩地域から多くの門人を抱え、1970年代頃まで稽古が行われていました。

撥雲館の詳細情報

撥雲館

住所
東京都調布市野水1-7

西武多摩川線「多磨駅」下車後、徒歩約15分。

近藤勇陣屋で、盟友と今生の別れをした土方歳三は、最後まで旧幕府軍として戦い続けます。そして1869年5月11日、戊辰戦争の最後の戦場となった函館五稜郭で戦死します。近藤勇と同じく、享年35歳の若さで土方歳三も激動の生涯を閉じました。

金剛寺[高幡不動尊](東京都日野市)

金剛寺[高幡不動尊](東京都日野市)79569

出典:

日野市の金剛寺(通称、高幡不動尊)では、土方歳三の菩提が弔われています。

金剛寺[高幡不動尊](東京都日野市)79570

出典:蒼弾丸さんの投稿

高幡不動尊の境内には土方歳三の銅像があります。凛々しく精悍な顔立ち、すらりとした長身、死を覚悟し忠義を尽くす鋭いまなざし……。土方歳三の銅像に心を奪われた人は多いのではないでしょうか。

高幡不動尊 金剛寺の詳細情報

高幡不動尊 金剛寺

住所
東京都日野市高幡733
アクセス
京王線 高幡不動駅 徒歩 5分 多摩モノレール 高幡不動駅 徒歩 5分

多摩モノレール「高幡不動駅」下車後、徒歩約5分。

ひの新選組まつり(東京都日野市)

ひの新選組まつり(東京都日野市)79576

出典:mirutoさんの投稿

土方歳三の生誕地、日野市では「ひの新撰組まつり」が行われています。日野市観光協会のホームページでは「ひの新撰組まつり」に関する情報が掲載されているので参加希望者はホームページをチェックしましょう。

いかがでしたか?

意外に思われるかもしれませんが、東京都近郊には数々の新撰組ゆかりの史跡が残されています。新撰組ファンの方は、ぜひ、東京都近郊での新撰組ゆかりの地めぐりを楽しんでください。そして、京都でのゆかりの地めぐりもぜひ!

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出典:aniki03さんの投稿

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