2017年06月10日

関ヶ原の観光に!歴史好き必見のおすすめスポット11選

関ヶ原の観光に!歴史好き必見のおすすめスポット11選

日本の歴史上でも欠かせないスポットとなる、岐阜県の関ヶ原。「壬申の乱」、そして「関ケ原の戦い」が行われた土地で、歴史好きなら一度は訪れておきたい場所です。そんな関ヶ原の観光には史跡めぐりが欠かせません!モデルコースもいろいろとありますが、まずはどんなスポットがあるのか…地元の歴史好きがおすすめをご紹介します!観光の際にお役立てくださいね♪

岐阜「関ケ原」で歴史観光♪

2度の天下分け目の合戦が行われた場所!

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岐阜県不破郡関ケ原町は天下分け目の合戦「関ケ原の戦い」で有名な街ですが、実はそれ以前にも天下分け目の合戦「壬申の乱」が行われていたのをご存知ですか?今から1300年以上も前の事なので、関ケ原の戦いよりも情報、史跡は少ないですが、日本史を語る上では欠かせない合戦でした。今回は、歴史好きなら訪れておきたい街「関ケ原」の史跡をご紹介しますので、ぜひ関ケ原観光のお役に立ててください。

関ケ原駅を拠点に♪

関ケ原駅を拠点に♪1195555

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今回ご紹介するスポットは、全てJR関ケ原駅から徒歩圏内となります。距離を歩く場所もありますが、スポットによって駐車場がある所とない所があるので、電車を利用するのが良いかもしれません。

「関ケ原の戦い」に関わる史跡

「関ケ原の戦い」に関わる史跡1195267

出典:はんべぇさんの投稿

漫画やアニメ、ゲームなど、さまざまな媒体で取り上げられている戦国時代。その戦国時代に終止符を打った合戦「関ケ原の戦い」が行われたスポットをご紹介します。

開戦地

開戦地1195259

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関ケ原の戦いが始まったことを意味する「開戦地」石碑。実際の開戦の場は、この石碑から少し離れた場所になりますが、さまざまな理由で現在の所に建てられたそうです。

開戦地1195262

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「開戦地」石碑は、西田運動公園内にあります。この地で、たくさんの人がさまざまな思いを胸に秘め、戦っていたことを考えると感慨深いですね。

決戦地

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関ケ原の戦いの終焉を迎えた場所に建てられている「決戦地」の石碑。西軍有利な状況で臨んだ合戦でしたが、相次ぐ裏切りに遭い、西軍は敗北してしまいました。

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決戦地跡は、島左近陣、蒲生陣のすぐ近くにあります。ここが一番激しく戦っていた場所なので、400年前に大規模な合戦があったことを思いながら散策してみてください。

松平忠吉 井伊直政陣跡

松平忠吉 井伊直政陣跡1195514

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関ケ原駅のすぐ近くにある「松平忠吉・井伊直政陣跡」。井伊隊は先鋒隊ではありませんでしたが、初陣であった松平忠吉に一番槍の功名を与えたいが為に、先鋒・福島隊を欺き、敵方の宇喜多秀家隊めがけ鉄砲を放ち、合戦の火蓋を切ったと言われています。

松平忠吉 井伊直政陣跡1195564

出典:

松平忠吉・井伊直政陣跡は、東首塚の境内の片隅にあります。注意して見ておかないと見逃しやすいスポットなので、関ケ原の史跡めぐりをされる方はお忘れなく!

桃配山・徳川家康最初陣跡

桃配山・徳川家康最初陣跡1195283

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東軍総大将であった徳川家康が関ケ原の戦いで最初に陣を築いた「桃配山・徳川家康最初陣跡」。この桃配山は、戦国時代よりも古い時代「壬申の乱」が起こった際に、大海人皇子が本陣を置いた場所としても知られています。

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徳川家康最初陣跡には、家康が使用していたと言われる腰掛石と机石が残っています。関ケ原の戦いが始まった当時、ここで軍議を開く時に使用したそうなので、この地を訪れたら思いを馳せて座ってみると、家康の気持ちを窺い知ることができるかもしれませんよ。

笹尾山 石田三成陣跡

笹尾山 石田三成陣跡1195308

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西軍を実質指揮していた石田三成が本陣を敷いていた「笹尾山 石田三成陣跡」。他の所は石碑で場所を示すだけの意味合いしかないように感じられますが、石田三成陣跡には敵の攻撃を防ぐ竹矢来や馬防柵が復元されているので、当時の様子をより深く窺える場所となっています。関ヶ原の戦いの爪痕を残す史跡としては、最も重要かつ最大の見どころです。

笹尾山 石田三成陣跡1195314

出典:

大恩ある豊臣秀吉の為に義を貫き通した石田三成。結果として敗北という形になってしまいましたが、その義を貫き通す姿勢に魅力を感じられる方も多いのではないでしょうか?この笹尾山には石田三成が見ていた風景や、たくさんの思いが詰まっています。その辺りを考慮しながら巡ると、関ケ原の戦いを別の視点で感じられるかもしれませんね。

大谷吉継陣地跡

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石田三成の盟友・大谷吉継が陣を敷いていた「大谷吉継陣跡」。当初は別の場所に陣を構えていたのですが、小早川秀秋が裏切るであろうと予想していた為、小早川勢を監視する目的もあって、この地に陣を敷いたそうです。

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寝返った15000の小早川勢に、大谷吉継は500の兵で対応したとも言われています。小早川の寝返りに呼応し、さまざまな武将も寝返り、大谷勢は壊滅してしまいました。元々、関ケ原の戦いに消極的であった大谷吉継ですが、いざ決戦が始まると西軍勝利に向けて策を練り動く、男らしさを感じますね。

大谷吉継の墓・湯淺五助の墓

大谷吉継の墓・湯淺五助の墓1195321

出典:

大谷吉継陣跡の少し先に「大谷吉継の墓・湯淺五助の墓」があります。西軍武将のほとんどが戦線離脱に成功していますが、大谷吉継は湯淺五助に介錯を命じ、ここで自害したそうです。この大谷吉継、湯淺五助両名のエピソードは涙なくして語ることができません。いつ訪れても花束やお供え物があることからも、人気の高さが分かりますね。

松尾山・小早川秀秋陣跡

松尾山・小早川秀秋陣跡1195252

出典:くろきりさんの投稿

関ケ原の勝敗の鍵を握っていた小早川秀秋が陣を敷いていた「松尾山」。南北朝時代には松尾城という城があったそうで、小早川秀秋は、その城の遺構を利用して陣を敷いたと言われています。写真を見て分かるように、この松尾山は関ケ原の合戦場を一望できる立地にあり、本来なら大将格が布陣しそうな土地です。ここで戦局を見ながら、寝返るかどうか悩んでいたのでしょうか?

松尾山・小早川秀秋陣跡1195348

出典:

松尾山・小早川秀秋陣跡は、史跡めぐりと言うよりは登山と言う方が正しいのではないかと言うほど、道のりが険しいです。女性の方は、スカートやかかとのある靴は控えて、動きやすい恰好をしてくるのがおすすめ。

関ケ原町歴史民俗資料館

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関ケ原の戦いに関する資料が展示されている「関ケ原町歴史民俗資料館」。関ケ原の歴史にあまり詳しくないという方は、まずはこちらを訪れてから古戦場を訪れると分かりやすいですよ!

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出典:

館内には、関ケ原合戦図屏風や武具、巨大ジオラマなど、関ケ原に関する資料がいっぱい!知っているようで知らなかった情報を目にするかも・・・!またミュージアムショップでは、関ケ原に縁の深い武将のオリジナルグッズを販売しているので、推し武将のグッズ集めをしてみてはいかがでしょうか?

壬申の乱史跡

壬申の乱とは?

672年に起こった古代日本最大の内乱「壬申の乱」。壬申の乱とは、天智天皇(中大兄皇子)の子である大友皇子、弟である大海人皇子が王位継承を巡って起きた争いです。その結果、大海人皇子がこの争いを制し、天武天皇として即位。天皇中心の国家づくりをしていくことになりました。

不破関資料館

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奈良時代に設置された不破関の史料が展示されている「不破関資料館」。昭和49年から実施されている発掘調査によって、出土した土器や瓦など、歴史的価値の高いものが多い資料館です。

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不破関に関する資料だけでなく、壬申の乱に関する資料やビデオなどもあるので、歴史好きな方はもちろん、歴史を勉強中の小中学生の方にもおすすめのスポットです。

不破関跡

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出典:

壬申の乱の翌年に設置された「不破関」。天武天皇の命により設置されるも、それから約100年後には廃止されましたが、鎌倉時代には通行料を取っていたという資料が残っています。関所らしい遺構はほぼ残っていませんが、土塁は残っているので、遺構好きな方はぜひ見ていってください。

まとめ

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出典:きたろうさんの投稿

関ケ原の歴史好きにおすすめな観光スポットをご紹介しましたが、いかがでしたか?関ケ原は歴史好きにはたまらないスポットで、後の日本を大きく変えた土地でもあります。歴史的背景を考えながら散策してみてください。

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