2016年08月28日
静岡の徳川家康ゆかりの地を巡る旅。押さえておきたいスポット8選
徳川家康ゆかりの地として知られている静岡県。駿府城公園や浜松城など、家康公の歴史が感じられる魅力的な観光スポットが多数点在しています。歴史ファンの方はもちろん、そうでない方にもオススメしたい一押しスポットをご紹介します。家康公の足跡を辿り、静岡を旅してみませんか?
静岡が”徳川家康ゆかりの地”と呼ばれるのはなぜでしょう?実は、徳川家康は静岡市にある「駿府城」や、浜松市にある「浜松城」と深い繋がりがあるからです。まずは、「岡崎城(愛知県)」の城主・松平広忠の長男(竹千代)として生まれた徳川家康の生涯を振り返ってみましょう。
徳川家康は7歳から桶狭間の戦いで今川義元が亡くなった18歳頃まで、駿河国(現在の静岡市)を治める今川家の人質になっていました。人質生活の長くは、駿河国の都市「駿府(すんぷ)」で過ごしていたのです。その後、生地である「岡崎城」に戻り、28歳になると「浜松城」に居城を移します。
本能寺の変の4年後には豊臣秀吉の家来となり、「駿府城」へ居城を移します。48歳になると、天下統一をした秀吉によって関東に移封され、「江戸城」に居城を移しました。秀吉の没後、関が原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開き“征夷大将軍”に任命されます。その後、秀忠に征夷大将軍の職を譲ると、再び「駿府城」に居城を移し、74歳まで生を全うしました。
江戸幕府を開いた徳川家康といえば、「江戸」のイメージが強い方が多いと思います。しかし、意外にも生涯において多くの時間を過ごし、余生を送る場所として選んだのは静岡だったのです。そんな家康公にゆかりのある、静岡のスポットをご紹介いたします。
「駿府城」は徳川家康が幼少の頃に人質として暮らした町に、47歳の家康公自らが築城したお城です。征夷大将軍を引退した後、息を引き取るまで心穏やかに暮らした城でもあります。人質として過ごした幼少期には、まさかここで最期を迎えるとは考えてもいなかったことでしょう。それでも、駿府城を最期の地として選んだ理由は、徳川家康にとって深い想いがあったのかもしれませんね。
駿府城跡は公園として整備され、櫓や東御門が復元されています。復元された櫓などを眺めながら、お散歩できるのも楽しみの一つになります。
サイレントヒルを満喫しております。
— K-TAI@DOLLS REALIZE (@KtaiDolls7Gt) 2016年8月2日
駿府城公園を散歩してたらかなり癒されました♪
喫煙所で地元のおじさんと話してなんかほっこりしたよw
(´-`).。oO(8月幸先いいぜ#まるでツアーのオフ日みたいだ pic.twitter.com/z4pfooKORv
駿府城は1635年(寛永12年)に起きた火事で、天守を含めた建物が焼失してしまいました。天守を再建する文献等が現存しておらず、再建が難しいとされていました。しかし最近、市による天守台跡の発掘調査が始まり、駿府城天守の再建への期待が高まっています。
駿府城天守台跡 発掘調査を開始 見学可能 | 静岡新聞アットエス https://t.co/nPf2JHNmxh 色々楽しそう、だけど暑そう
— 才谷梅太郎 (@alquimistar) 2016年8月11日
駿府城公園
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1300年もの歴史がある「清見寺」は、戦国の世に度々焼き払われてきましたが、徳川家康によって再建され現在に至ります。今川家の人質時代に学問を教わっていた僧侶が「清見寺」の僧侶だったのです。
僧侶に学問を学んでいたとされる部屋も残っています。天下統一を成し遂げた徳川家康を育てた場所と言っても過言ではありません。人質の立場にありながらも僧侶によって才能を見出され、メキメキと頭角を現していったのです。
徳川家康がまだ松平竹千代と名乗り今川家の人質だった頃に学問の師だったのが、静岡興津にある名刹・清見寺住職の太原和尚。写真は同寺大方丈の「家康公手習之間」。家康はのちに関ヶ原出陣の際に、また14代将軍家茂も上洛の際に同寺を宿館に利用。 pic.twitter.com/nLah37rnI0
— 江戸文化歴史検定 (@edoken_jp) 2016年5月23日
美しい庭園を眺めながら、心穏やかなひとときを過ごせる空間があります。目の前には、緑や紅葉が散りばめられています。
清見寺
— Seiji Hagiri (@seijiatm) 2016年3月13日
なんかのんびりできる場所。
自分のパワースポットかな! pic.twitter.com/n35GNDlhva
清見寺 公式サイト/臨済宗妙心寺派 巨鼇山清見興国禅寺 永代供養霊廟《清風殿》
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1582年(天正9年)、徳川家康は武田勝頼との戦いの前に静岡浅間神社で戦勝祈願をしたと言われています。当時、神社の背後にある賤機山(しずはたやま)に武田方の山城があったため、平治後に再建することを固く誓い社殿を焼き払って武田家を滅ぼすことに成功したと言われています。そして、5年後にその誓いは守られることになったのです。
静岡浅間神社には、七つの社殿があります。と言うのも、神社の境内には7つの異なる神社が存在しているからです。この7つの社殿に参拝することで、万願叶うと言われています。
静岡浅間神社。思いの外広くてビックリした(^_^;)折角なので七社全部巡ったよ!百段階段も頑張って上ったよ…
— takeusa (@takeusagin) 2016年7月24日
綺麗な御朱印も頂きました(御朱印帳は下鴨神社の) pic.twitter.com/IDbTDrPpQS
駿河国総社 静岡浅間神社
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「静岡市文化財資料館」には、古墳時代から近代までの静岡浅間神社や静岡市に関連する資料が展示されています。また、徳川家康と静岡浅間神社との繋がりを示す資料を見ることができます。
徳川家康が亡くなって400年の節目となった2015年には、『徳川家と静岡浅間神社』と題した催しが行われました。
●「徳川家康と静岡浅間神社 」
— 小早川秀秋@関ケ原おもてなし野良武将 (@kingo_hideaki) 2015年2月5日
開催中~2/15まで
静岡市文化財資料館
内府殿が関ケ原で使った軍配や、殿下→内府殿の太刀があるよ。 pic.twitter.com/VhIA8njAaR
静岡市文化財資料館 | 関連施設紹介 | 静岡市の文化財
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1570年(元亀元年)、徳川家康は岡崎城を息子に譲り、浜松の地に浜松城を築城しました。その後、17年間を浜松城で過ごしたと言われています。徳川家康始め、浜松城主は出世した者が多かったため、後に”出世城”と呼ばれるようになりました。現在でも、その御利益にあやかりに訪れる人もいるようです。
「浜松城」の天守には、城跡より出土した品々が展示されています。場内もキレイに整備され、案内人の方が場内を案内してくれます。
旅2日目、今日。2日目の宿に移動する前に浜松城へ。次回?の大河で井伊直虎をやる関係かのぼりが出ていました。敷地の整備はこれからなのかな。天守内は出土品などが充実してました。 pic.twitter.com/fD4ZcCXm6e
— 守凪了子 (@Kyo_Sogoru) 2016年8月12日
徳川300年の歴史を刻む出世城。浜松城
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徳川家康の”生涯で最大の敗戦”と言われた三方ヶ原の合戦。当時、”最強の武将”として恐れられていた武田信玄との壮絶な戦いが繰り広げられた地が「三方原古戦場」です。現在は、浜松市郊外の三方ヶ原台地に石碑が建てられています。
三方ヶ原の合戦が行われたとされる場所の一角に石碑があります。
徳川軍が武田軍に大敗した三方原古戦場 pic.twitter.com/hTkb3s9Gs6
— kazu-G (@kazuhara2445) 2015年10月20日
三方ヶ原古戦場碑/浜松市
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三方ヶ原の合戦で敗れた徳川家康は、命からがら浜松城に逃げのびたと言われています。武田軍の追手から逃れるために「浜松八幡宮」に立ち寄り、「雲立の楠」に身を隠したと言い伝えられています。現在では、静岡県の天然記念物として管理されています。
<武将愛〜徳川家康編〜>
— 武将愛 (@busho_heart2015) 2016年2月26日
三方ヶ原の合戦で敗走した徳川家康公が武田軍の目を逃れるために身を隠したといわれる「雲立の楠」浜松八幡宮#徳川家康 #浜松市 #浜松八幡宮 #武将愛https://t.co/kZdvpvHKqj
浜松八幡宮 公式HP
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徳川家康ゆかりの地として最後にご紹介するのは「久能山東照宮」です。「久能山東照宮」は、言わずと知れた徳川家康公が祀られている場所です。当時の最高の建築技術を誇る最古の東照宮であり、日光東照宮の原型となったとも言われています。
1159段ある石段には、「いちいち、ごくろうさん!」という面白い語呂合わせがあります。体力に自信がある人は、ぜひ歩きやすい靴で石段ルートから参拝してみてくださいね。いちいち登る価値がある絶景が見られます。
久能山東照宮まで石段を登ってきました…(息切れ pic.twitter.com/67FTpYnI7r
— フォト日和 静岡カメラ女子 (@photobiyori_sz) 2016年2月27日
「久能山東照宮」には、家康公の実物大の手形があります。実際に触れてみて、どれくらいの大きさか比べてみるのも楽しいですよ♪
久能山東照宮 家康の手形発見。 pic.twitter.com/Dyx52ROHWy
— hiroadagio (@hiroadagio) 2016年8月12日
久能山東照宮
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いかがでしたか?徳川家康ゆかりの地である静岡のおすすめスポットをご紹介しました。家康公がいかに静岡の地とゆかりがあるのかがお分かりいただけたことと思います。あなたもぜひ、家康公の足跡を辿る旅に出かけてみませんか?