2017年01月10日
武田信玄公ゆかりの地を巡ろう!おすすめスポット7選@山梨県
戦国時代に生き、「甲斐の虎」と呼ばれ織田信長や徳川家康など全国の戦国武将に恐れられた武田信玄。その信玄公を生んだ山梨県には「勝運」の御利益をいただきに多くの人が参拝に訪れる武田神社や、信玄公の菩提寺である恵林寺など信玄公にゆかりがある場所がたくさんあります。歴史が好きな人から山梨県に観光に行こうとしている人まで全ての人におすすめしたい山梨県にある武田信玄ゆかりの地を7つ紹介します。
武田信玄は1521年にこの神社で生誕したといわれています(要害山城という説もあるそう)。境内には信玄の産湯を汲んだと伝わる井戸が残っています。またこちらの不動堂には武田信玄像が安置されています。
積翠寺の詳細情報
武田神社はJR甲府駅からバスで約10分のところにあります。この神社には「勝運」の御利益があるといわれており、多くの人がお参りに訪れます。その由来は、武田神社に祀られている信玄公が織田信長や徳川家康といった多くの戦国大名が恐れる人物であり、多くの戦いに勝利し武田騎馬隊を作り上げたことにあります。また境内には武田氏ゆかりのものが展示されている「宝物殿」や、琴を奏でているような水の滴る音が聞こえる「武田水琴窟」などがあります。
武田神社の詳細情報
かぶとやの詳細情報
かぶとや
甲府、金手、善光寺 / ジェラート・アイスクリーム、かき氷
- 住所
- 山梨県甲府市屋形3-7-15
- 営業時間
- [月] 08:00 - 17:00 [火] 08:00 - 17:00 [水] 08:00 - 17:00 [木] 08:00 - 17:00 [金] 08:00 - 17:00 [土] 08:00 - 17:00 [日] 08:00 - 17:00
- 平均予算
- ~¥999
甲斐善光寺は、第三次川中島の戦いの後に武田信玄が信濃善光寺の焼失を恐れ信濃善光寺の御本尊や寺宝を甲斐に避難させたことがきっかけで創建されました。御本尊が甲斐に到着した時、多くの領民は喜び歓迎したと言われています。この御本尊は長年秘仏とされてきましたが、1997年から7年毎に開帳が行われています。
甲斐善光寺の詳細情報
甲斐善光寺
- 住所
- 山梨県甲府市善光寺三丁目36-1
- アクセス
- JR甲府駅 バス 15分 善光寺バス停 徒歩 7分 JR善光寺駅 徒歩 7分
- 料金
- 【料金】 大人: 500円 金堂・宝物殿 小学生: 250円 金堂・宝物殿
恵林寺は1330年に夢窓疎石によって開山されました。戦国時代に入ると快川紹喜が入山し、武田信玄によって菩提寺に指定。1576年4月16日には恵林寺にて信玄公の葬儀が行われました。織田信長による甲州征伐によって武田氏が滅亡すると恵林寺は織田軍により焼き討ちにされてしまいますが、その後、徳川家康により復興されました。
恵林寺の詳細情報
武田信玄公の墓は武田神社から徒歩約15分の住宅地の中にあります。1573年5月13日武田信玄は信濃で病死しました。死の間際、信玄公は3年間は自らの死を秘匿にするなどの遺言を遺しました。家臣たちはこの遺言を守り1576年4月16日に恵林寺にて信玄公の葬儀を行ったとされています。信玄公の墓は恵林寺を始め何か所かありますが、この墓では死を隠していた3年間埋葬されていたとされています。
武田信玄公墓の詳細情報
新府城跡は甲府盆地の西部の韮崎市にあります。信玄公の死後、武田家の勢力は長篠の戦いをきっかけに次第に落ちていき武田領内では動揺がみられました。そこで、領内維持と織田信長の迎撃を目的に新府城は1581年に築城が開始されました。新府城は守りに適した大きな城で、三日月堀など甲州流築城術の特徴が見られたといわれています。しかし、織田軍が武田領内に攻め込むと勝頼公は入城からわずか70日程で城に火を放ち城を後にしました。1973年に新府城跡として国の史跡指定を受け、現在に至ります。
新府城跡の詳細情報
勝頼公は新府城を後にすると家臣のひとりである小山田信茂の居城である岩殿城を向かいしました。しかし、道中で信茂が織田家に寝返えったため天目山で夫人と嫡男とともに自害し、武田家は滅亡しました。景徳院は勝頼公の死を弔うために徳川家康によって建立されました。
景徳院の詳細情報
いかがでしたか。紹介してきたこれらの場所に行けば「甲斐の虎」と恐れられた武田信玄のことをよく知ることができるのではないでしょうか。山梨は河口湖や富士急ハイランドなど観光スポットがたくさんありますが、このような歴史を感じられるスポットもあるのでぜひ訪れてみてくださいね。