2018年10月16日
名古屋のお屋敷町「文化のみち」で、大正・昭和のレトロ建築を楽しもう!
名古屋めしなど観光都市としても人気の名古屋は、名古屋城の城下町をベースに作られた都市でもあります。とくに東区の白壁(しらかべ)・主税(ちから)・橦木町(しゅもくちょう)には武家屋敷の跡や大正・昭和時代のステキなお家が今なお多数保存されています。散策すれば気分は一気に大正ロマン、名古屋ゆかりの人々の歴史も調べながら歩くのもおすすめです。
白壁・主税・橦木町は、名古屋市の街並み保全地区に指定され、歴史的な建物が数多く保存されています。このエリアには大正から昭和初期にかけて、名古屋を代表する財界人の邸宅が集中して建てられ、和洋折衷のレトロな建物が修復・保存されています。
なぜ、これほどの豪邸が白壁・主税・橦木町に集まってきたのか?大きな理由は、2点あるといわれています。ひとつは江戸時代に武家屋敷のある場所だったため、広大な敷地を近代建築に転用できたこと、もうひとつは陶磁器の生産地・瀬戸へのアクセスが良好で、陶磁器の輸出会社の社長たちがこぞって邸宅を作ったからです。
現在も、白壁・主税・橦木町には土塀や板塀に囲まれた邸宅が並び、名古屋市内有数の高級住宅街です。長い塀ごしには緑あふれる樹木がのぞき、閑静なお屋敷町の風景がひろがります。
今回は撞木町筋・主税町筋・白壁町筋という道にそって、名古屋の近代産業を支えた経済人ゆかりのスポットを回る散策コースご紹介します。静かで落ち着いたお屋敷街を歩きながら、シックな和風住宅や近代洋風建築を眺めましょう♪
白壁 主税 橦木町並み保存地区の詳細情報
二葉館は、大正9年頃に建てられた洋風邸宅を移築・復元したものです。所有者は、日本初の女優だった川上貞奴と、そのパートナーの電力王・福沢桃介。当時、福沢桃介が名古屋の電力事業にかかわっていたため、この建物には日本有数の財界人が集まっていました。
赤いトンガリ屋根や玄関の車寄せなど、建てられたころの姿が復元されており、建物の一部は国の登録文化財に指定されています。
1階には、当時の名古屋の社交場でもあった大広間があります。豪華なステンドグラスに寄木細工の床など、華やかさのある広間です。
色づかいの繊細さと構図の大胆さがみごとなステンドグラス。モチーフにも日本らしい花々が使われています。二葉館のステンドグラスの多くは、福沢桃介の義弟・杉浦非水(すぎうらひすい 多摩美術大学の創始者のひとり)がデザインしたものと言われています。
二葉館の復元に際しては、建築当時の材料をそのまま移築したり、同じ材料や技術で再現したりするなど、昔の雰囲気を再現すべく工夫が凝らされています。建物に入るだけで、名古屋の近代史を間近に見るようです。
文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)の詳細情報
文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)
- 住所
- 愛知県名古屋市東区橦木町三丁目23番地
- アクセス
- 市バス停飯田町 から 徒歩 で 2分 基幹2系統 白壁 から 徒歩 で 5分 地下鉄桜通線高岳 から 徒歩 で 10分 名鉄瀬戸線尼ヶ坂 から 徒歩 で 12分 なごや観光ルートバスメーグル 文化のみち二葉館 から 下車すぐ(0分)
撞木館は、大正15年に建てられた邸宅です。所有者は、明治から大正・昭和にかけて陶磁器輸出で財を成した井元為三郎(いもとためさぶろう)。輸出のために多くのバイヤーを邸宅でもてなしていました。
撞木館は、大正末期から昭和初期の邸宅の特徴を色濃く残す建物です。洋館と和風住宅が一体化していて、応接用の洋館にくわえて、住居として使用していた和風住宅がつながっています。
洋館には広く窓がとられ、庭園の緑がうまく利用されています。洋館には名古屋の輸出陶磁器に関する資料も展示されているので、陶磁器好きには要チェックです。
洋館のアクセントとなるステンドグラス。直線的なデザインを多用した、力強さを感じるデザインが見られます。二葉館の柔らかいモチーフのステンドグラスと比較するのもおもしろいでしょう。
カトリック主税町教会(ちからまちきょうかい)は、礼拝堂が明治37年に司祭館が昭和5年に建てられた教会です。主に名古屋や岐阜でのカトリック布教に尽力した伝道士・井上秀斎がフランス人宣教師のテュルパン神父とともに武家屋敷を使って布教活動を始め、明治37年にシュレル神父によって現在の礼拝堂が建てられました。
ゆるく曲線を帯びた屋根や瓦屋根など、和洋折衷の不思議な雰囲気のある建物です。礼拝堂の正面の3連アーチが、優雅な姿を見せています。
礼拝堂の横にある鐘楼には、1890年にフランスのマルセーユで製造された鐘が置かれて今も鳴り響いています。深い音色を聞いていると、歴史の長さをしみじみと感じます。
白いペンキで塗られただけの礼拝堂内はステンドグラスもなく非常にシンプル。それだけにカトリックの布教に一生をささげた人々の意気込みが伝わってきます。足を踏み入れると、おごそかな気持ちになる場所です。
東海三県では一番古い教会のため、何度も修復がされてきました。昭和60年の大修復を経て、美しい姿を保っています。名古屋のカトリック伝道史上、重要なスポットです。
カトリック主税町教会の詳細情報
旧・春田鉄次郎(はるたてつじろう)邸は、大正13年頃に建てられた洋風数寄屋邸宅です。所有者は、陶磁器貿易商だった春田鉄次郎。太洋商工株式会社を設立した後は、この邸宅にも数多くの要人が訪れました。
敷地内には洋風建築と和風建築の良いところを合わせた、なんとも不思議な景観が広がります。その景観が好まれたのか、昭和22年~26年までは、アメリカ軍の第五航空隊司令部によって一時使用されていた歴史もあります。
アールヌーボー様式を取り入れた洋館部分は、現在、創作フレンチレストラン「デュボネ」として営業中です。こちらは一般に公開されていませんから、おいしいフレンチとともにを味わうのがおすすめ。繊細な味とレトロな内装を楽しみましょう。
和風建築の部分は一般に公開されています。りんとしたたたずまいの住宅内は、華やかな洋館部分との対比が鮮やかです。
旧春田鉄次郎邸の詳細情報
デュボネの詳細情報
デュボネ
清水、東大手、高岳 / フレンチ
- 住所
- 愛知県名古屋市東区主税町3-6-2
- 営業時間
- [月] 11:30 - 15:00(L.O. 13:30) 18:00 - 22:00(L.O. 20:00) [火] 11:30 - 15:00(L.O. 13:30) 18:00 - 22:00(L.O. 20:00) [水] 定休日 [木] 18:00 - 22:00(L.O. 20:00) [金] 11:30 - 15:00(L.O. 13:30) 18:00 - 22:00(L.O. 20:00) [土] 11:30 - 15:00(L.O. 13:30) 18:00 - 22:00(L.O. 20:00) [日] 11:30 - 15:00(L.O. 13:30) 18:00 - 22:00(L.O. 20:00)
- 定休日
- 水曜日
- 平均予算
- ¥5,000~¥5,999
- ¥10,000~¥14,999
旧・豊田佐助(とよださすけ)邸は、大正12年(大正4年の説もあります)に和洋折衷の建物です。所有者は、発明王・豊田佐吉(さきち)の弟である豊田佐助。当時、白壁町筋に豊田喜一郎邸と豊田利三郎邸があり、白壁・主税・撞木町が名古屋の高級住宅街であったことがわかります。
内装に木を使った柔らかな印象の洋館。こちらもビジネスには洋館・住居は和風住宅という和洋折衷の設計で建てられています。
白いタイル張りの外観が目を引く邸宅ですが、内部にも凝った意匠がほどこされています。画像の排気口は、縁起のいい鶴亀のモチーフに「とよだ」の文字を組み合わせたもの。大正時代のモダンな雰囲気が伝わります。
洋館に隣接して、総二階の和風住宅が作られています。和風住宅部分は間取りを広く取り、ゆったりと暮らせる作りです。
内装も実に豪華。名古屋のモノづくりをリードし続ける豊田一族のセンスの良さを感じる建具です。
これほど広々とした邸宅ができたのは、江戸時代の尾張藩中級武士の屋敷がベースになっているからです。庭園の造作にも風情があり、名古屋の近代建築が江戸の城下町とつながっていることが感じ取れるでしょう。
旧豊田佐助邸の詳細情報
主税町長屋門は、江戸時代に建てられたものがそのまま残っている貴重な武家屋敷の長屋門です。現在、名古屋城下で建てられた当時の場所に、そのまま建っているのはこの長屋門だけです。町奉行だった平岩家のもので、幕末には桂太郎(後の内閣総理大臣)の宿舎としても使用されたというエピソードがあります。
主税町長屋門
— checkmate (@co_checkmate) 2015年9月5日
東区主税町に名古屋城下に当時の位置のまま残る唯一の武家屋敷長屋門❗️#主税町長屋門 #長屋門 #武家屋敷跡 #風景 #gate #landscape http://t.co/nyW6bDYWsX pic.twitter.com/6npVSukrhU
尾張藩の武士の中で、邸に長屋門を作ることができたのは百石~一万石未満の身分のものでした。当時は、長屋門に棟門などがずらりと並び、武家屋敷らしい豪壮な街並みを作っていました。
主税町長屋門の詳細情報
旧・豊田家の門 塀は、大正時代に建てられたという白壁・主税・撞木町エリアでは比較的新しい門と塀です。所有者は豊田家でしたが、現在は敷地が高級マンションになっており、マンションの塀として使用されています。
白壁・主税・撞木町エリアでも指折りの名建築で、大きな看板はありませんが、見逃しようがないほど豪華な門と塀です。
旧豊田家の門 塀の詳細情報
櫻井家住宅は、明治39年に建てられた洋館です。所有者は、帝国撚糸織物の専務だった桜井善吉(さくらいぜんきち)氏。桜井氏がみずから設計をしたという二世帯住宅は、モダンなセンスを感じさせる邸宅です。
寄棟屋根(よせむねやね)と白壁が可愛らしい建物で、名古屋市の景観重要建造物に指定されています。こちらは白壁地区で最も古い住宅と言われますが、これまで紹介した邸宅とちがい、今なお現役の住宅です。
櫻井家住宅の詳細情報
百花百草(ひゃっかひゃくそう)は、大正9年頃に建てられた邸宅です。もとの所有者は岡谷鋼機の創業家・岡谷家。鉄鋼や機械などを扱う独立系商社のオーナー一族の邸宅でした。
長く使われていなかった建物でしたが、名古屋市が依頼して書院・茶室・土蔵を改修。さらに多目的ホールを新築して庭園を作りました。ホールからは美しい庭園を眺めながら、お茶を飲むことができます。名前の由来は、かつて岡谷家が所有しており、現在は徳川美術館に所蔵されている百花百草図屏風(重要文化財)から取りました。季節おりおりの花々を楽しめるよう整備された、いやし系スポットです。
名古屋の近代史は日本の産業の隆盛と深い関係があります。白壁・主税・撞木町エリアをのんびり散策しながら、名古屋の歴史に思いをはせてみてはいかがですか。