2024年06月24日
歴史探訪の女子旅へ!「渋沢栄一」ゆかりのスポット8選/埼玉県深谷市
2021年のNHK大河ドラマの主人公であり、2024年から使われる新しい一万円札の顔としても大注目の「渋沢栄一(しぶさわ えいいち)」。明治・大正に実業家として活躍した人物で、500以上の産業を興し「近代日本資本主義の父」と呼ばれています。社会活動・慈善運動・国際親善・国際平和活動にも力を注ぎ、人々から大変慕われました。この記事では、埼玉県深谷(ふかや)市にある渋沢栄一ゆかりの施設をご紹介します。日本の礎を築いた人物の足跡を辿る、歴史探訪の女子旅に出かけませんか。
目次
渋沢栄一は江戸時代の終わりに、現在の埼玉県深谷(ふかや)市の農家に生まれました。家業の農業や養蚕(ようさん)を手伝いながら、父やいとこに『論語』などの学問を学び、一橋慶喜(のちの将軍・徳川慶喜)に仕えます。その後、パリなどの欧州諸国に留学して見聞を広げ、明治維新後は大蔵省の一員として新しい国づくりを進めました。
大蔵省を退官した後は株式会社や大学・教育機関の設立などに関わります。なんと、設立に関わった会社の数は約500社、関わった社会公共事業は約600もあるんだとか!現在の「東京証券取引所」や「王子製紙」、「帝国ホテル」、「アサヒビール」など、誰でも聞いたことのある企業の設立にも渋沢が関わったんですよ。
多くの人々から慕われる人格者でもあった渋沢栄一。亡くなったときには3万人以上もの人が駆けつけ、その死を惜しんだと言われています。今回は、渋沢が生まれた「埼玉県深谷市」にスポットを当てて、渋沢ゆかりの場所をご紹介します。日本の礎を築いた偉人の足跡を辿る、歴史探訪の女子旅に出かけませんか。
旅のスタートは「深谷駅」から。1883年に開業したこちらの駅、どこかの駅に似ていると思いませんか?そう、「東京駅の赤レンガ駅舎」です。東京駅に深谷産のレンガが使われていることにちなんで、1996年の改築時に赤レンガ駅舎をモチーフにして建てたんだとか。どうりで似ているはずですよね。
駅北口の青淵(せいえん)広場で渋沢に初対面!こちらの「渋沢栄一像」は1996年に建立されたもの。高さは台座を含めて約6.5メートルあり存在感バツグンです。青淵広場の「青淵」とは渋沢の雅号に由来しているんですよ。渋沢像は市内にいくつかあるのでぜひ写真におさめて。渋沢の活躍の経緯が分かりますよ。
北口にある時計塔はからくり仕様。普段はゆるキャラ「ふっかちゃん」がいますが、定刻になると渋沢の姿に変わるんです!渋沢が手にもっている“あるもの”にも意味があるんですよ。運よく見られたらその意味を調べてみて。きっと「深いなぁ~」と思うはず。深谷駅のあとはレンタカーもしくはタクシーで「渋沢栄一記念館」に向かいましょう。
深谷駅の詳細情報
渋沢栄一記念館 八基公民館の詳細情報
清水川にそって長細く伸びていた「青淵公園」も渋沢ゆかりの場所。公園には、甥の渋沢治太郎(じたろう)が撰書(せんしょ)した「青淵由来之跡の碑」が建っています。清水川にかかる橋には、深谷市の偉人たちの名前が付けられているんですよ。どんな人なのか調べながら川沿いを歩くのもいいですね。
多忙を極めていた渋沢ですが、ふるさとに帰ってきた際には「中の家(なかんち)」に寝泊まりしていたんだとか。奥の十畳の部屋は、渋沢が帰ってきた時用に特に念入りに作られています。渋沢にとってここでの滞在は心やすらぐひと時だったのかもしれません。
渋沢栄一生地 (中の家)の詳細情報
尾高惇忠生家の詳細情報
「中の家」と「尾高惇忠生家」の中間地点あたりにあるのが「鹿島神社」です。尾高が生まれた下手計村の鎮守で、昔は境内に大ケヤキが立っていたのだそう。ケヤキの根本に湧いた水で共同浴場が作られ、そこで渋沢の母はハンセン病の人の背中を流してあげていたんだとか。とても優しいお母さんだったことが伝わってきますね。
境内には尾高の業績を伝える碑「藍香尾高翁頌徳碑(らんこう おだかおう しょうとくひ)」が建っています。碑の上部の文字は、なんと最後の将軍・徳川慶喜によるものなんです。元将軍が尾高のために書いたということは、それだけ立派な人物だったことがうかがえます。
鹿島神社の詳細情報
こちらは、1916年に第一銀行の行員たちがお金を出し合って建てた「誠之堂」です。銀行の頭取だった渋沢の喜寿(77歳)を記念して建てられたもので、元々は東京都世田谷区にありましたが深谷市が譲り受けてこの地に移築されました。実は、壁のある場所に「喜壽(喜寿)」と書かれているんです。どこにあるか友達と一緒にさがしてみるのも楽しいですよ。
スペイン風の「清風亭」も、二代目頭取の佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し、行員たちによって建てられました。当時としては珍しい鉄筋コンクリート建築で、スパニッシュ⽡の屋根やステンドグラスの出窓、半円形のアーチがあるベランダなどが特徴です。絵本から出てきたようなかわいらしさに、写真撮影の手が止まらない!
誠之堂 清風亭の詳細情報
「日本煉瓦(レンガ)製造株式会社 旧煉瓦製造施設」も渋沢が設立に関わった会社のひとつです。こちらは工場の建設やレンガの製造指導にあたったドイツ人技師チーゼの住居兼事務所。チーゼの帰国後は会社の事務所として使われ、1978年からは煉瓦史料館として当時の貴重な写真や文書などが展示されています。敷地内の「旧事務所」と「ホフマン輪窯6号窯」、「旧変電室」は国の重要文化財に指定されています。
日本煉瓦製造旧煉瓦製造施設の詳細情報