2016年07月05日
要塞・廃墟を探検!和歌山の無人島「友ヶ島」でハイキング
和歌山県の沖合に浮かぶ4つの島々(沖ノ島、地ノ島、虎島、神島、)を総称して友ヶ島と呼びます。中でも沖ノ島は明治の初めから先の大戦まで大阪、神戸を守るために軍事要塞化されていました。現在は一般人でも入れるようになり、たくさんの廃墟マニアが訪れる話題のスポットに。キャンプや史跡巡り、ハイキング、魚釣り、磯遊びなど夏のおでかけに人気の友ヶ島をご紹介します。
友ヶ島は、和歌山県和歌山市加太に属し、紀淡海峡に浮かぶたくさんの無人島を総称して「友ヶ島」といいます。
明治時代には、旧日本軍により、外国艦隊の大阪湾への侵入を防ぐ目的で、島内に砲台や防備衛所が造られ、第二次世界大戦終戦後までは一般人の立入は禁止されていました。地図上にも記載されていないかったそうです。
現在は、誰でも入れるようになり、観光スポットに!今話題の無人島として大人気なんです。
和歌山市駅から南海加太線に乗って25分で加太に到着。加太港までは歩いて20分ほど。友ヶ島汽船に乗ってさらに20分で一番大きな沖ノ島に上陸できます。
夏期、汽船は火・水曜日以外に4往復、冬期は土日祝日に2往復運航しています。
黄金週間、夏期休暇中は休みなしで、臨時便が出ることも。事前予約は行っていないので、当日整理券をもらいます。
友ヶ島汽船株式会社 | 和歌山加太 友ヶ島(ともがしま)
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海上交通の要衝、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。その美しさは万葉の歌人からも愛され潟見浦と歌われました。江戸時代は紀州藩の軍馬の牧場であった友ヶ島ですが、江戸末期の黒船来航によって、大阪湾への侵入を防ぐため、江戸幕府の命によって紀州藩は友ヶ島奉行を置き、要塞化に着手しました。また、明治に入ると新政府によって大規模に整備、由良要塞の拠点となり、軍事施設としても利用されていました。
大日本帝国陸軍によって、巨大な大砲が幾門も備えられ、大規模に整備された友ヶ島には、駐屯する兵士の数が600名を越えました。ただし、軍の重要機密のため、その内容は公表されず、当時は地図にも載っていなかったそう。
敗戦を迎え、大砲は撤去され、砲台は取り壊されました。現在は砲台跡や弾薬庫跡は整備され、戦争を語る遺構として保存され、懐中電灯を手にしてその中に入ることができます。
※遺構=過去の建築物、跡など。
海洋国である日本。昔から紀淡海峡には多くの船舶の出入りがあり、その安全航行は多くの船乗りや関係者の関心事でした。
登録有形文化財にも登録されている友ヶ島灯台は、灯台フリークでなくとも憧れるフォルムをもっています。イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブライトンが設計した洋式灯台で、1872年に建造された今でも現役の灯台です。また、東経136°の日本標準子午線が灯台のそばを通っています。
軍事施設のカモフラージュに適した照葉樹林に覆われた島内。緑陰の下、ハイキングを楽しみましょう。クジャクやリス、シカに出くわすこともあります。和歌山県天然記念物に指定されている友ヶ島深蛇池湿地帯植物群落にはヒトモトススキ、テツホシダなどの湿地性の植物群落が生い茂っています。
また、初夏、蒲浦海岸のイワタイゲキ(草)の大群落は圧巻です。
足元は歩きやすい靴で行くことをおすすめします。
南垂水広場と池尻広場の2ヵ所にキャンプ場があるので、テントを持参すればキャンプも可能です。ただし、管理事務所への申請が必要です。桟橋近くに案内所があるので詳細はそちらで聞いてみましょう。基本的に、水や食べ物などすべてのものを持参する必要がありますので、より原始的なキャンプが楽しめます。
瀬戸内海国立公園 友ヶ島|和歌山市
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・懐中電灯
・ブヨも除ける虫除けスプレー
・水(絶対!夏は特に多目に)
・食べ物
・カメラ
・歩きやすい服装、靴
・帽子、日除け対策。
明治の初めから先の大戦まで大阪、神戸を守るため軍事要塞化された友ヶ島。砲台跡などは現在、公園として整備され、廃墟好きにはたまらないスポットです。キャンプや砲台巡り、ハイキング、魚釣り、磯遊びなどアウトドアの宝箱。今年の夏旅は、無人島探検に行ってみましょう。