2016年09月19日
よみがえる国宝。豪華絢爛!名古屋城・本丸御殿に心打たれます
名古屋城といえば金ぴかのしゃちほこがそびえるゴージャスなお城です。現在、そのすぐ隣で江戸時代に藩主が暮らしたという本丸御殿が、復元工事中です。お殿様が日々を過ごし、迎賓館でもあったた格式の高い御殿は、金をふんだんにつかった豪華絢爛な建物。平成28年に一部が公開され、誰でも中に入って見学ができるようになったため、一度、優雅なお殿様気分を味わいに行きませんか?
近世城郭御殿の最高傑作といわれ、国宝にも指定された名古屋城の本丸御殿。空襲により焼けてしまったこの芸術ともいえる歴史的建築を、江戸時代の姿そのままに復元するプロジェクトが進められています。現在、復元工事は2/3ほどが完了し、平成28年には中に入って見学することが可能になりました。息を吹き返した国宝に、今、注目が集まっています。
見学に予約は必要なく、名古屋城の観覧料だけで見学できますからぜひ立ち寄るべき!今回は、当時の技術を駆使して再現された本丸御殿の見どころをじっくりご紹介します。
本丸御殿を紹介する前に、まず名古屋城についておさらいしておきましょう。名古屋城は、徳川家康が大阪夏の陣・冬の陣のために築いたお城です。関ヶ原勝利の後、徳川家康は将軍となり幕府を開き、同時に大坂の豊臣家との武力衝突の準備を始めました。地理的に、名古屋が大阪ににらみを利かすカナメの場所になると判断した家康は、大阪への圧力とすべく名古屋城を築城したのです。
天下の名城といわれた名古屋城は、江戸時代を通じて国内最大級(約1339坪)の大建築物でした。本丸御殿は武家風書院造の頂点といわれ、昭和5年に国宝に指定。しかし昭和20年の名古屋大空襲で、名古屋城も本丸御殿もそっくり焼失し、本丸御殿はそれ以来、跡地だけが残された状態でした。
名古屋市では、本丸御殿の歴史的意義をふまえて、焼失前と同じ文化的価値を取り戻すべく復元を決めました。総工費はなんと150億円!平成18年度から基本設計が始まり、平成28年度までに全体の2/3ほどが復元工事を終わって一般公開中されています。
すべての工事が終了し、御殿全体が公開されるのは平成30年度の予定。こんなに時間がかかるのは、原則として復元前と同じ材料を使い、当時の工法を再現しているからです。つまり復元ができた本丸御殿に入れば、新築なったばかりの御殿に足を踏み入れた江戸時代のお殿様と同じ様子を味わえるというわけ!
本丸御殿は名古屋城天守のすぐ南側に建っています。見学は自由で、屋内は基本的に撮影OK。ただしフラッシュは使えません。貴重な資料を守るためですから、見学前にフラッシュはオフにしておきましょう。屋内は暗いので自動的にフラッシュが光ってしまう恐れがあります。
まずお目見えするのが、玄関。玄関とは入り口だけでなく、一之間(18畳)と二之間(28畳)の2部屋を含めています。来客が最初に通される部屋で、一之間には床之間や違棚(ちがいだな:2枚の板を段違いに作りつけた棚)があります。
一之間と並んで、グッと広い二之間が続きます。ふすまと壁一面に金箔をはった室内は、ほんのり輝いています。江戸時代の尾張藩の格式の高さがうかがえますね。
どちらの部屋にも「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」が復元され、金をバックに虎や豹が生き生きと描かれています。これは現在の狩野派絵師が書いたもので、色彩は400年前のものそのままです。じつに豪華です。
本丸御殿の障壁画の再現には22年もの歳月がかかっています。平成4年より本格的な復元模写が始まり、まず当時の絵師が使っていた素材や技法を調べることから始まりました。幸い、オリジナルの障壁画は襖絵など1047面が蔵に保存されていたため、これを顕微鏡やコンピュータで研究・分析を続けてきたのです。ミクロ単位の緻密な作業で、江戸時代の芸術がみごとによにがえりました。
表書院は外部からのお客さまを迎える格式の高い部屋です。本丸御殿には一之間から三之間が復元されており、部屋ごとに違うテーマの障壁画が昔どおり復元されています。三之間のテーマはじゃこう猫。狩野派の優美な筆が楽しめるお部屋です。
当時、じゃこう猫はとても高貴な生き物としてうやまわれていました。そこでわざわざ大事な表書院に描かれたのです。ちなみに、最も格式の高い一之間のテーマはキジと桜です。江戸時代でもやっぱり桜が一番なんです。
表書院の一番奥は一之間(上段之間)です。お殿様が正式な謁見をするときに使う部屋で、床之間・付書院・違棚(ちがいだな)などがあります。他の部屋よりも一段高く作られ、いかにもお殿様のためのゴージャスなお部屋です。
奥のふすまには松が描いてあり、これは重要文化財を完全再現したもの。金色のバックのなかでグリーンの対比が美しく、見ごたえがあります。
一之間のふすまの上部には、とても細かい格子がはめられています。「格子欄間(こうし らんま)」といい、通気をよくするために壁ではなく格子になっているのです。この細かい細工も見どころです。
表書院を客室とすれば、対面所はお殿様が家臣と会うための部屋です。上段之間と次之間の2部屋があり、藩主が一族と合うときや一族の宴席の場として使われたそうです。
ふすまや障子には風俗図が描かれ、京都の年中行事や庶民の姿が生き生きとよみがえりました。豪華ですが、公式な場である表書院と比べるとややカジュアルな印象です。
こちらは対面所の天井です。二重折上小組天井(にじゅうおりあげこぐみてんじょう)というもので、木が格子状に組まれ、その中にもっと細かい格子が組み込まれています。さらに天井をサイドから高くした折上(おりあげ)式。非常に格式の高い形です。手の込んだ作りの天井をシンプルな黒塗りにする点が武家の質実剛健さをあらわしています。
下御膳所は藩主の料理の配膳などのために使われたお部屋です。なかには囲炉裏がそなえられて、ほかのお部屋とは雰囲気が違います。こんなお部屋も再現されているんですよ。
本丸御殿は、まだ完成形ではありません。復元が終わった部分は現在公開していますが、他の部分はまだ工事中です。この復元作業の現場は「素屋根工事現場」とよばれて、だれでも建物内に入って見学ができます。とくに予約もいらないため、御殿の見学が終わったらぜひとも立ち寄りましょう。
「素屋根」とは、復元工事現場を風雨から守る建物のことです。内部には工事全体を見渡せる見学通路が設置してあり、高さ約9メートルから見下ろす現場はまさに工事の真っ最中。江戸時代の木造建築の仕組みがよくわかります。
復元工事に使う木材は、敷地内の御深井丸(ふけいまる)にある木材加工場で加工しています。こちらにも見学通路が作ってあり、樹齢300年を超す貴重なヒノキなどを保管、加工する様子を見られます。すぐ隣には原寸場があり、建築にあたって図面で表現できない部分を実物大で作図、型取りなどをしています。江戸時代と同じものをつくる作業は、一見の価値ありです!
本丸御殿では柱や障子の桟(さん)など、あちこちに貴重な木材をふんだんに用いています。ふすまの金具や釘隠しなどの細かい装飾にも手を抜かず、どこまでも焼失以前のオリジナルにこだわった御殿です。武家建築の凛々しさと、狩野派の優雅な障壁画とのコラボレーションにきっと心打たれることでしょう。
今後は上洛殿なども復元工事が終わりしだい、つぎつぎ公開される予定です。1度といわず何度もリピートして、江戸時代にタイムスリップしてみてはいかがですか?御殿の完成を待つお殿様の気分になれますよ!
名古屋城 本丸御殿の詳細情報