2016年06月24日
天守閣だけじゃない!ちょっとディープな会津の鶴ヶ城紹介♪
会津若松のシンボルともいえる鶴ヶ城(若松城)ですが、天守閣以外にも見どころがあります。鶴ヶ城といえば、大河ドラマ「八重の桜」でも舞台になりましたよね。会津若松に来るからには、鶴ヶ城観光はマスト! 天守閣博物館では常設展の他、『日本刀』や『松平容保』など、鶴ヶ城ゆかりの企画展も実施されています。季節によっては本丸内でイベントも開催されているので、足を運んでみるのも楽しいと思います。ここでは、天守閣だけではない鶴ヶ城のちょっとディープなところまで写真付きでご紹介します。
会津若松市にある鶴ヶ城は、日本で唯一の赤瓦の天守閣がある城跡です。現在の天守閣が築かれたのは、1965年。地上5層の天守閣内部には、貴重な資料が展示されています。
そんな天守閣ばかり注目されがちな鶴ヶ城ですが、ぐるっと歩いてみると面白いスポットがいくつもあるんです。
廊下橋から夜桜を望む
ここでは、天守閣だけではない鶴ヶ城のディープなスポットをご紹介します。
この赤い橋は「廊下橋」です。昔は、偉い人が城へ向かう際に、その姿が外から見られないようにするために屋根と壁が付けられていたと言われています。
廊下橋の先はクランクのようになっています
この廊下橋の先もクランクのような「桝形門」になっています。
戊辰戦争の際は、この廊下橋目がけて小田山から大砲が発射されたそうです。現在も石垣に着弾した跡が遺っています。
鶴ヶ城周辺で最も大きな駐車場である西出丸から坂を上がったところが「帯廓(おびくるわ)」です。"廓"とは城の内外を堀や石垣で囲み、櫓などが建てられた区画のこと。
桜の時期の帯廓です
桜の時期になると、廓内の桜が一斉に咲き誇ります。夜桜を楽しむのに絶好のポイントです。
そんな「帯廓(おびくるわ)」の奥には、小さなお稲荷さんが祀られています。
このお稲荷さんは通称「北向き稲荷」と呼ばれていて、文字通り北を向いているお稲荷さんです。あらゆる願い事を叶えてくれるとされ、ここに願掛けをする地元の人もたくさんいるパワースポットです。
「帯廓」から本丸へ向かう途中には、「武者走り」というV字型の階段があります。
これは、非常時は左右どちらも上りの階段として使われました。「武者走り」を使って石垣の上に駆け上がり、攻め入ってきた敵軍を石垣の上から攻撃したそうです。
武者走りのところには、珍しいハート型の石垣もあるので探してみてくださいね。
本丸の入り口近くにあるこちらの神社は、鶴ヶ城稲荷神社です。
土日に限り、市内蚕養(こがい)町の「蚕養國神社」の神職さんが出張していらしています。御朱印を受けることも可能です。
いよいよ本丸に入っていきましょう。
本丸を入って右手側に天守閣、左手奥には「茶室 麟閣(りんかく)」と「荒城の月の碑」があります。
「春高楼の花の宴」で始まる有名な歌「荒城の月」は、作詞家である土井晩翠(どいばんすい)が鶴ヶ城をモデルに書いたと言われています。「茶室 麟閣」の奥には、土井晩翠直筆の碑があるので一度ご覧になってください。
鶴ヶ城は戊辰戦争の際、一か月の籠城戦を耐え抜きました。しかし、過酷な籠城戦を耐え抜いた城は見るも無残な姿だったと言われています。
オカリナ 宗次郎 Sojiro / 荒城の月 - 日本のうた こころのうた1 - - YouTube
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「天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿 映さむとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月」鶴ヶ城では午後3時になるとこの荒城の月のメロディーが流れます。
茶室「麟閣(りんかく)」は、茶人・千利休の子、千小庵が建てたと言われる茶室です。千家が豊臣秀吉の怒りに触れて死を命じられた折、利休七哲(千利休の弟子筆頭7名)の一人であった蒲生氏郷が利休の息子の小庵を会津に匿いました。その際に小庵が建てたものとされています。
戊辰戦争の後に鶴ヶ城が取り壊される際に指月庵宗久((しげつあんそうきゅう)によって移築され、平成2年に再び元の場所である鶴ヶ城の敷地内に再移築されました。
「麟閣」内では、定期的に茶会が開催されています。また、気軽にお茶席を楽しむこともできますので、鶴ヶ城散策の休憩に一服いかがでしょうか。
鶴ヶ城の表玄関に当たるのが「鉄門(くろがねもん)」です。
重厚な門は、加藤明成公の時代に造られてからというもの、長い間城と人々を守ってきました。この鉄門の左右の石垣は「切り込みハギ」という工法で作られています。
鶴ヶ城を後にして北出丸に抜ける途中にあるのが、椿坂です。
現在はすべてスロープになってしまっていますが、以前は幅の広い階段でした。幅を広くすることで、攻め入ってきた敵の馬の足並みを乱す効果があったと言われています。ここで後ろを振り返ると、直進できないことに気付くでしょう。この形の門を「桝形門」といいますが、「桝形門」の上は武者走りを使って上がれるようになっています。敵の軍勢が桝形門に差し掛かり勢いがなくなったところで、石垣の上から一気に攻撃を仕掛けて一網打尽にしました。
いかがでしたか? 鶴ヶ城は季節ごとに大きく表情を変えます。
桜の時期はもちろん、冬に雪化粧をした鶴ヶ城も見事なものです。ぜひ天守閣だけでなく、その周辺も散策してみてください。意外な発見があるかもしれませんよ?
(財)会津若松観光ビューロー|鶴ヶ城 会津若松城 御薬園 松平家廟所| 悠久の時を超え、幕末の天守閣が今よみがえる
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