2016年12月15日
谷根千を文学さんぽ♪夏目漱石など文豪ゆかりの地を巡ろう
下町情緒あふれる文京区から台東区一帯の谷中・根津・千駄木周辺を歩いてみませんか?あの偉大な文学者たちの足跡が今も残っているんですよ。名作にインスピレーションを与えた素敵な風景もいっぱい。今回は、夏目漱石や森鴎外、江戸川乱歩や平塚らいてうなど、幅広い作家たちのゆかりの地をご紹介します。お天気のいい日は、お気に入りの本を片手に谷根千周辺を散策してみませんか?
下町情緒の漂う谷中・根津・千駄木(通称:谷根千)周辺を歩いてみませんか?あの偉大な文学者たちにゆかりのあるスポットがたくさんあるんですよ。お天気のいい日は、文学の世界に浸りながらのお散歩がとても楽しいエリアです。今回は、夏目漱石や森鴎外、江戸川乱歩や平塚らいてうなど、幅広い作家たちのゆかりの地をご紹介します。
さらに驚くのは、この家には夏目漱石の以前に森鴎外も住んでいたという点です。世間は狭いですね・・・。
夏目漱石旧居跡 漱石は英国から帰国後の明治36年から3年間ここに住んだ。ここは「吾輩は猫である」の舞台であり、「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」などの名作を発表した地でもある。森鴎外も13年前の明治23年10月から1年余ここに住んだ。 pic.twitter.com/coKevptegX
— 独歩 (@yojigentoire) 2013年8月15日
この場所から建物こそなくなっていますが、実は愛知県犬山市の「明治村」に移築保存されているそうです。インスピレーションが沸きそうな家にも興味がありませんか?
文京区 夏目漱石旧居跡(猫の家)
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死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。(坊ちゃん)
— 夏目漱石選文bot (@souseki_antholo) 2012年11月14日
道後温泉ですったもんだをする坊ちゃんを励まし続けた清さんが、本のラスト数行で亡くなってしまうという儚く印象的なシーンで登場する「養源寺」。ピンと来た人も多いのではないでしょうか?あの昭和を彩った劇作家の井上ひさし氏は、この「だから」が日本文学史上最も美しい「だから」の用例であると絶賛したそう。
やっと坊っちゃん読み終わった!最後の『だから清の墓は小日向の養源寺にある』って文がすごく好き。 pic.twitter.com/Ycz5s6pdu6
— なたみや (@ntmy_ntd) 2016年3月10日
#坊ちゃん
— よしー (@fireyossy) 2016年11月6日
養源寺の清の墓 pic.twitter.com/2jaGupJ1Fm
そしてこの養源寺には、「坊ちゃん」に登場する清さんのお墓が本当にあるって知っていました?もちろん小説はフィクションなのですが、ファンの人がたびたび訪れる結構有名なスポットなんですよ。
三島由紀夫も、夏目漱石も東大。森鴎外は東大医学部。小柴さんも根岸さんも大江さんも川端康成も東大。皆東大だね…。
— seiro (@ambition_mt) 2014年3月2日
あなたは?
谷根千界隈に、文学者ゆかりのスポットが多いのもうなずけますね。
三四郎のモデルは?
— 白鷺手鞠 (@ma_dl_ax) 2016年10月16日
三四郎=小宮豊隆
与次郎=鈴木三重吉
美禰子=森田草平と心中未遂事件を起こした婦人運動家の平塚雷鳥
野々宮=物理学者の寺田寅彦
広田=一高教授の岩元禎、若しくは二高教授の粟野健次郎
深見画伯=浅井忠
「三四郎」は漱石の周りにいた人たちがモデルになったと噂されている物語なんですよ。東大と三四郎池周辺に関する描写も多くみられます。本を片手に散策してみるのが楽しそうなスポットですね。
東京大学
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綺麗〜子どもの頃名古屋城の菊人形によく連れて行かれたけども、気持ち悪いとしか思えなかったけども。谷中のどこで開催されているのかしらん。「浮雲」や「三四郎」に描かれている団子坂の菊人形の伝統を継承しているのでしょうね。 https://t.co/Usus8Lj9Pu
— 星跡堂 Seiseki-dou (@Zoushigaya) 2015年10月11日
幕末から明治末にかけて菊人形の出店が多く並んでいて、明治40年頃はその最盛期だったと言われている場所なのです。今では面影すらないものの、漱石の文学の中では、その様子を垣間見ることができます。
団子坂で見つけた看板。乱歩好きにはたまらない! #谷中 #江戸川乱歩 https://t.co/D9y0Q0wM6Y pic.twitter.com/nmVd3t3i4W
— 波 魚 (@pasha_lx) 2016年11月6日
事件やドラマの匂いがしそうな雰囲気のある坂道です。
森鴎外の家で、飯食べてきましたよ
— 赤い彗星 (@72tom_cat) 2016年11月17日
水月ホテルです pic.twitter.com/omW83hq44O
会食などにも利用できるとは、ファンにはたまらないですよね。
水月ホテル鴎外荘
閉業や休業等の理由により施設情報が存在しないか、一時的な障害で施設情報が取得できませんでした。
メモ:文京区立森鴎外記念館
— sako yuko (@LittleRing) 2016年7月9日
「観潮楼」と名付けられた鴎外が暮らした住居跡に建てられたとのこと。https://t.co/y9PAF1jKbQ
今日7月9日は、
偶然にも
森林太郎氏のご命日…
「鴎外忌」 pic.twitter.com/djd49bFxz2
当時、対立関係にあったと言われる正岡子規系「根岸短歌会」と与謝野鉄幹を中心とした「新詩会」のメンバーを集めて、関係を取り持とうとしていたそう。ほかにも芥川龍之介や斎藤茂吉など、森鴎外を訪ねてきた文人も多かったとか。今でも講演会やワークショップなどが行われていますので、ぜひイベントなどをチェックして足を運んでみてくださいね。
文京区立森鴎外記念館 - 文京区立森鴎外記念館
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(via:iberikopiggy) 千駄木散歩。第一目的達成*\(^o^)/*。憧れの青鞜社発祥の地‼ pic.twitter.com/6OJgHaTPrE
— 谷根千写真 (@yanesen_photo) 2013年6月1日
団子坂の上にはひっそりと「青鞜社」発祥の地という看板もあります。
「元始、女性は太陽であった。」を高らかに提唱した平塚らいてうをはじめとした女性たちが、女性による雑誌「青鞜」を刊行した場所です。もともとは発起人の一人・物集和子(もずめかずこ)さんの自宅だったのだそう。
文京区 青鞜社発祥の地(せいとうしゃはっしょうのち)
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高村光太郎旧居跡に写真つきタッチ! http://t.co/KV9BhJKENG pic.twitter.com/ktXpPcc6zv
— 見沼鰐 (@minuma_wani) 2015年1月25日
「道程」、「智恵子抄」などでも知られる詩人であり芸術家でもあった高村光太郎旧居跡もまた、ここ千駄木にあるんですよ。
僕の前に道はない、僕の後に道はできる高村光太郎pic.twitter.com/yHdt9Ry4ha
— 希望の詞集 (@zygafijepyd) 2016年11月20日
高村光太郎というと東北のイメージが強いかもしれませんが、実は欧州留学から帰国後、この千駄木の地に住んでいたのだそう。もともと東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)彫刻科に通われていたので、やはり谷根千周辺にも思い入れがあったのかもしれませんね。
文京区 高村光太郎旧居跡
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どこか懐かしい谷根千の文豪ゆかりのスポットをご紹介しました。いかがでしたか?かわいいカフェも沢山あるので、お散歩の合間にお茶しながら読書をしてみるのも楽しいまちです。ぜひ晴れた日は遊びに行ってみてくださいね。