2016年08月04日
平将門の祟りは存在する?!都心最恐のパワースポット「将門塚」
日本三大怨霊の一つといわれている平将門が祀られている「将門塚」。東京を代表するオフィス街・大手町駅の近くにあります。再開発がすすむ大手町エリアで、これまでに幾度となく取り壊しを試みるも、その都度事故や不審死が起こり将門塚だけは対象外となりました。しかし、今では強力なパワースポットとして訪れる人が絶えません。1000年を超えても凄まじいエピソードが語り継がれる将門塚についてご紹介します。
平将門は平安中期の関東地方の豪族で、桓武天皇の子孫とされています。
平氏同士の闘争に巻き込まれたのがきっかけで朝廷と対立し、「新皇」と名乗って関東独立を目指しました。最期には、朝敵として藤原秀郷・平貞盛によって討ち取られてしまいます。武士階級としてはじめて戦乱を起こした事件。これが教科書でも有名な「平将門の乱」です。
志半ばで討たれた平将門の恨みはすさまじく、日本三大怨霊のひとりとして恐れられています。(あと2人は崇徳院・菅原道真)
将門塚はこれまでに何度か破壊もしくは土地縮小されかけましたが、その度にさまざまな不幸が起こるので現在でも撤去されることなく大切に保存されています。
高度成長時代になると、将門塚の周りの土地はごく一部を残して国によって売却されました。
金融機関に買い取られた土地には新しく日本長期信用銀行が建てられましたが、塚に面した部屋の行員が相次いで病に倒れたと言われています。
さらに時は流れて1998年、日本長期信用銀行が経営破たんしたのも将門の祟りによるもの…かどうかは、今となっては誰にもわかりません。
かの徳川家康は、江戸幕府を開く際にきちんと将門塚にお参りしたと言われています。江戸時代が太平の世として300年も続いたのは、家康公が将門塚を大切に敬ったからかもしれません。
将門が協力な武将であったことから勝負事にご利益があるとして、武芸やギャンブルをたしなむ人・大事な商談や試験を控えた人・転職や起業など新しいことを始める人などからの人気が高いです。
将門塚の詳細情報
いかがでしたか?にぎやかな大手町のど真ん中に、うっそうと茂る薄暗い木々…そこだけ時が止まったかのような将門塚には、ただ恐ろしいだけでなく強いパワーを秘めた守り神がいらっしゃいます。霊感のない人でも、なんとも言えぬ不思議で荘厳な空気を感じられるかもしれません。信じるか信じないかはアナタ次第ですが、都心のパワースポットといわれる「将門塚」へ一度参拝してみてはいかがでしょうか。