2016年07月27日
激動の幕末を駆け抜けた「白虎隊」の史跡を巡るin会津若松
大河ドラマ「八重の桜」でも描かれたように、幕末の激動の中、会津藩は厳しい籠城戦を戦うことになりました。そんな中様々な悲劇を生んだ会津藩ですが、中でも特に有名な悲劇が「白虎隊(びゃっこたい)士の自刃」です。歴史の教科書で見たことがある方も多いのではないでしょうか。まだ若い未来ある少年たちは「白虎隊」として出陣し、飯盛山の地で自刃しました。ここでは、白虎隊とその白虎隊にまつわる様々な史跡・資料館などをご紹介します。
白虎隊は、会津藩士の子息によって結成された軍隊です。幕末の戊辰戦争当時、会津藩は年齢ごとに4つの隊を作りました。玄武・朱雀・青龍・白虎の4隊の中で最も隊士の年齢が若かったのが白虎隊です。隊士の年齢は16歳から17歳と言われていますが、中には年齢を偽って白虎隊に加わった少年も居ました。
白虎隊士は、本来は予備兵力でした。しかし、戦況の悪化に伴い出陣を余儀なくされます。白虎隊一番隊は藩主・松平容保(まつだいら・かたもり)公の護衛にあたり、二番隊が戸ノ口原へと出陣しました。
しかし、新政府軍の装備の前にはひとたまりもなく、戦死者・負傷者多数となり敗走します。なんとか水路を伝って飯盛山にたどり着きましたが、その時目に入ってきたのは炎上している鶴ヶ城でした。
【武士道】悲劇の白虎隊(飯盛山観光映像) Tragic Bushido - YouTube
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「鶴ヶ城が炎上している=落城した」と思い込んだ隊士は、その場で自刃することにします。互いに互いを差し違え、あるいは腹を切り、ある者は喉を突きして次々と命を落としていきました。しかし、その時まだ城は落城しておらず、城の周囲の武家屋敷群が燃えていたにすぎなかったのです。
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このとき自ら命を絶ったのが19名。ただ一人飯沼貞吉のみが生き残りました。この飯沼貞吉が命を取りとめたことで、白虎隊の悲劇は広く後世に伝えられることとなったのです。
白虎隊士が敗走し、水路を伝ってやってきたのが飯盛山です。お椀にご飯を盛ったような形をしているところから「飯盛山」と言われています。
飯盛山には、行きと帰りで二度と同じ道を通ることが無い不思議な構造の建物「さざえ堂」や、白虎隊士が通った「洞門」などがあります。
門前町には土産物屋が立ち並び、串カツやあわまんじゅうといったグルメも味わうことができますよ! なかでも串鶴の串カツはぜひ味わいたい逸品。季節限定のメニューもあるので、チェックしてみてくださいね。
串鶴の詳細情報
串鶴
会津若松 / 串揚げ
- 住所
- 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下16
- 営業時間
- [月] 10:00 - 16:00 [火] 10:00 - 16:00 [水] 10:00 - 16:00 [木] 10:00 - 16:00 [金] 10:00 - 16:00 [土] 10:00 - 16:00 [日] 10:00 - 16:00 ■ 定休日 不定休
- 平均予算
- ~¥999
飯盛山には白虎隊士の墓があります。春から秋まで参拝できるので、一度手を合わせに行ってみてはいかがでしょうか。
飯盛山までは会津若松駅から車で10分足らずです。麓に市営の無料駐車場があり、併設の観光案内所にはボランティアガイドが待機していますので、ガイドを頼んでみるのも良いかもしれません。
白虎隊士の墓から階段を下りていくと「白虎隊自刃の地」に出ます。
ここからは会津若松市街地が一望できます。今は背の高い建物がいくつも建っていて鶴ヶ城はなかなか見えませんが、当時は鶴ヶ城がはっきりと見えたことでしょう。
飯盛山に訪れたら、ぜひ訪れたいのが「白虎隊記念館」です。
白虎隊にまつわる様々な資料が展示されています。また白虎隊だけでなく、「八重の桜」の主人公・新島八重の資料も展示されています。
飯盛山から徒歩3分程度のところにある「白虎隊伝承史学館」でも白虎隊の歴史に触れることができます。
展示されている資料は約5000点。ぜひ館内のスタッフさんの解説を聞いてみてください。会津人の誇りと情熱がこもった解説は必聴ですよ!
飯盛山近くにある「旧滝沢本陣」は、戊辰戦争の際に「本陣」として使われた場所です。当時の建物がそのまま残っており、国の重要文化財・史跡に指定されています。
建物のあちらこちらには当時の刀傷や銃弾の痕なども残っています。冬季間の見学は予約が必要です。
自刃した白虎隊士の遺体は、すぐに埋葬を赦されたわけではありませんでした。「賊軍は人にあらず」とのことで、そのまま自刃の地に捨て置かれていたのです。
それを哀れに思ったのが地元・滝沢村の農民でした。彼らはこっそりと白虎隊士の遺体を妙国寺に運び、仮埋葬をしたのです。
妙国寺には、白虎隊士仮埋葬地があります。
会津藩があった頃は鶴ヶ城近くにあった「會津藩校日新館(あいづはんこうにっしんかん)」ですが、今は会津若松市郊外の河東町(かわひがしまち)に復元されました。「會津藩校日新館」は今で言う学校のような場所です。
「會津藩校日新館」では、会津藩士の子息が日々勉強に励んでいました。日新館で教えられていた科目は多岐にわたり、中には天文学の授業もあったとされます。
ここでは様々な資料や展示を通じて、当時の「学校生活」を知ることができます。
近年「もののふ白き虎」などの舞台でもスポットライトが当たっている「白虎隊」。会津若松には、白虎隊士たちの生きた奇跡があちらこちらに残っています。
舞台「武士白虎~もののふ白き虎~」公式ホームページ / キャスト紹介やチケット情報など
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白虎隊の悲劇を知って、幕末に思いを馳せてみてはいかがでしょう。会津若松には幕末を感じる史跡や街並みが沢山残っています。